ねえ、聞いてくださる?

思ったことを気ままに書きます。

春眠は暁を教えてくれた(?)

 早寝というか眠すぎて
 自分が想定した時間よりも早くに
 意識を手放し夢の中へ。
 早起きになったここ数日。
 (ただいま3月18日午前4時56分)
 早起きは三文の得、というが
 これがいいことなのか今日の私には
 まだ分からない。
 明日の私は
 「頼むからもう一度寝ておけ~」と嘆くのだろうか。
 今日が夏であれば 
 そとへ出て散歩でもしたかもしれないけれど
 まだ寒いから、まだ寒いからということにしつつ
 ヒーターをつけたくさんの布団を背負い
 カタツムリになっている、私。

 ふと、工藤玲音さんの言葉を読みたくなって
 検索をかけてみる。
 
 人骨がこんなに白くて安心した
 抱きしめたいうちに抱きしめろ
             工藤玲音


 まっさきに夏野原きて
 投げキッスの飛距離を伸ばす練習をする
              工藤玲音

 きみの手にも葉脈がある
 食卓に春の日射しで満ちゆくサラダ
              工藤玲音

 素敵。かわいい。でも、憂いもある。
 そして、玲音ちゃんの写真も好き。
 写真に映る時の表情、ポーズ。
 美味しそうな料理の写真。
 玲音ちゃんになりたい、と思ってしまう。

 なんで私が言葉にこだわるのかというと
 私は結構、会話をするときに
 頭の中で聞いた言葉が文字化して出てきて
 流れていかないことがある。とどまる。
 それが傷つけようとして発したであろう言葉なら
 ずっととどまりつづけて黒いモヤモヤが
 体の中をかけめぐって具合悪くなる。
 冷や汗が出るしそれしか考えられなくなる。
 たとえ自分以外に発せられた言葉でも。 
 自分が話すときもまず頭の中で
 文章を作ってそれを読み上げるかのように
 発するので言葉に瞬発力がないし
 無言で終わってしまうこともおおい。
 本末転倒な気もしますが。
 あ、めんどくさいやつだなって思った方、
 これからもっとめんどくさくなります。

言葉の節々には
思いがあらわれている。
無意識ゆえに顕著に。
意図的であればもっと顕著に。
私は言葉を受けとり
言葉で思いの質量をはかろうとするから
失敗する。
受け取る側の私の状態で
言葉の意味や質量は
ねじまがって入ってくることもあるだろうに。

言葉で思いの質量をはかり気分が沈むことがある。
仕事と私、どっちが大切なの!?
と泣きじゃくる人のように女々しい。
言葉を天秤にかける必要なんてないのに。 
相手に素直に聞けばいいのに!

私は気むずかしいのかもしれない。

ね、ちょっと待って。
思いと重いをかけたみたいになって恥ずかしいな、


抽象的すぎますね。ごめんなさい。
言葉を吸収して書き手の思いや情景を
想像するのはいいことだけれど
コミュニケーションの場面では素直に
「ねえ、それってどういう意味?」って
聞いた方がいいなあって思ったという話です。
多分わたし歪んでるから(笑)